[コラム]アーカイブ
2013年07月29日
土用の丑
暑い日が続きますが皆さんいかがお過ごしでしょうか。
先日、7月22日は土用の丑の日でしたね。
仕事を終えて帰宅すると食卓には鰻丼がスタンバってました。
昨秋のニュースではニホンウナギが絶滅危惧種に指定される可能性ありとの報道もあり、
奥さんとの会話で「最近スーパーでも鰻高くなってるね。」と話していました。
今年は鰻、厳しいだろうなと半ば諦めていたので嬉しさも倍増です。
ちなみにその日の我が家の献立は、
・鰻丼
・ゴーヤチャンプルー
・南瓜の煮物
・もやしときゅうりのサラダ と夏らしいメニューが並びました。
久々の鰻は外はカッリ、中はホクホクで凄くおいしかったです。
来年も食べれますようにと祈りながらしっかりと噛み締めていただきました。
今年の夏も元気に乗り切りますよ!
皆さんも体調にはくれぐれもお気をつけてお過ごしください。
2008年09月23日
彼岸花
22日に『2008円の旅』の取材で、御所・葛城の道を歩いた。
道の脇には彼岸花が咲き、とてもキレイでした。
取材で約6時間歩き続け…本日より筋肉痛。
明日は、さらに痛むが増すだろう…。
恐怖に脅える私でありました。
yomiっこ2008.11月号の『2008円の旅』をお楽しみに〜。
∀いしやまん
Tweet2008年08月18日
虹
お盆に大きな虹を見ました
虹を見るといつも高浜虚子の
『虹立ちて 忽ち君の 在る如し』
を想い出します
晩年の虚子が愛(まな)弟子(女性)に贈ったものです
少し意味深な俳句ですが、実は、
病弱の愛弟子・愛子が北陸に住んでいて
「虹が架かったら、それを渡って会いに行きます」
と言っていたのを虚子は想い出し
虹が架かったのを見て、上の俳句を詠んだようです
俳句をみると色恋の感を受けてしまいがちですが、
虚子が病弱の愛弟子を想う心が、
両者のキーワードの『虹』によって
ストレートに表現された一句です
ネットバカサバイバー/K. Fujisawa
Tweet2008年01月02日
あけましておめでとうございます
あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いします
橿原神宮にいってヤタガラスのお守りをかいました
北京五輪サッカー ガンバレ!
2007年11月23日
秋祭り
桜井から宇陀、東吉野を通って、吉野に入ったら
警備員が車を止めていて、ちょこっと渋滞に巻き込まれてしまった
吉野町窪垣内自治会のお祭りだった
今もこういう伝統を受け継いでいるんだなあと
50年前を懐かしく思い出した
(奈良っこスタッフIT)
Tweet2007年11月11日
癒された休日
週末、和歌山へ出かけた。
海のない奈良。 海を見るとテンションが上がる私。
ドライブ中にパシャ!「海は広いな〜大きいな〜♪」
つづいて…
山の上のパン屋さんでランチ。
山々を眺めながら手づくりパンをパクりっ! 「うぅ〜うまい♪」
↑『ベーカリーテラス ドーシェル』
和歌山県海草郡紀美野町 山の上にポツンたたずむお店。
山頂近くにあるというのにお客さんは絶えず、県外のナンバー
プレートの車がいっぱい! パン好きの人達が噂を聞き付けて
来ているのかな?…。
どのパンもとってもおいしかったです♪
今日は、海に山、そしておいしいパンに癒された一日でした。
スタッフR
Tweet2006年10月19日
川上三小
廃校になった川上第三小学校(吉野郡川上村)へいった。
写真下の木造から、昭和58年に建て直し、川上東小学校となり、
平成15年3月に廃校となった。
車で行くとなると、小学校の上の方から下ることになるのだが、
小学校に下っていくと、なにか異様な光景が目にはいり、
道を間違ったのかなと思ったくらいだった。
降りてみると、間違いなく小学校。
グラウンド一面に、プレハブの建物が並んでいた。
掲示板を見てみると、白屋の文字。
大滝ダムによる地すべりで被災した白屋地区の人の仮設住宅であった。
この二十数年の間、小学校は6校から1校に、中学校は3校から1校に、それぞれ統合。
大滝ダムにより、村を離れたもの、村内に移転したもの、被災したもの。
川上村の人にとって、この二十数年は、激流の川上村ではなかったか。
その二十数年は、深刻な過疎化に悩む川上村の姿、とも映った。
校舎裏から見る、緑の山、青い空。ここだけは昔と変わっていない。
唯一の心の救いは、この景色...
奈良っこスタッフ TT
<参考URL>
川上村ホームページ
和暦西暦対応表(明治以降)
奈良県大滝ダム地すべり問題の新しい展開
2006年10月18日
川上三中
出身中学が、廃校となったのはわかっていたが、二十数年ぶりに、
川上村の川上第三中学校(昭和58年3月閉校)跡地を見にいった。
今では往時のみる影もなく「ふれあいセンター」になっていた。
「ふーん」という感じで何の感慨もなく、そそくさと立ち去った。
実家に帰り、当時のアルバムを見ると、
なんともいえない、微笑ましいというか、ほろ苦いというか、
中学生時代の想い出が、フツフツとよみがえってきた。
かつて、植草貞夫だったか、野球中継で「過去への郷愁」という言葉を使った。
そのとき、郷愁に「過去への」という言葉を使うのはどうか、と感じた。
あるいは、長嶋茂雄流に「ノスタルジー」の一言でいいんじゃないかとも思った。
しかし、川上三中に感じたことは、「ノスタルジー」ではなく、
まさに、「過去への郷愁」。
郷愁に、過去もあるのだとわかった。
(文中敬称略)
奈良っこスタッフ TT
<参考URL>
川上村ホームページ
和暦西暦対応表(明治以降)
植草貞夫事務所