2008年08月27日

郡山城と伊賀上野城の意外な接点

郡山城(奈良県大和郡山市)と伊賀上野城(三重県伊賀市)には意外な接点が。

近鉄郡山駅から北へ向かって歩くと郡山城の石垣と堀が現れる。


郡山城跡

郡山城は戦国時代(1578年ごろ)大和国を支配した
筒井順慶が近世的な縄張り(設計)で築いたもの。
筒井氏が伊賀へ転封(国替え)された後、
秀吉の異父弟の豊臣秀長が領主となり城郭を拡充。
その後増田長盛(豊臣政権の五奉行の一人)が
外堀の普請を進め郡山城の規模が確定した。

伊賀へ移った筒井氏は天正伊賀の乱で焼失した
平楽寺跡に三層の天守を構え殿門を整えた。
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筒井伊賀上野城跡碑

その後筒井氏は失政を理由に改易(所領の没収)され、
伊賀は藤堂高虎が統治することに。
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築城の名手と謳われた藤堂高虎

高虎は豊臣秀長の家臣として仕え郡山城の普請の中心人物であった。
徳川家と豊臣家の緊張が高まる中、伊賀は東軍(徳川方)の要所。
そこで高虎は大砲や鉄砲にも耐えられるぐらいの城郭を築く。

伊賀上野城。現在の上野城は復元されたもの


筒井氏が築いた筒井伊賀上野城は取り壊されず
城代役所(城代家老が執務を行う場所)として使われた。

歴史好き スタッフ DEeee

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コメント

是非もなし
です

投稿者: ヒョードル命:2008年08月29日 15:18




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