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飛鳥時代は、宮を固定するという概念はなかったので、天皇が変わるたびに宮が変わったということになる。宮とはこの当時は天皇の住居であり、そこで政治を行っていたので当時の首都ということ。だから飛鳥時代の首都はめまぐるしく変わった。
このことを歴代遷宮というが、飛鳥浄御原宮(672年〜686年)は、最初は宮号はなく、686年になって名づけたというから、宮という正式な概念はなかったかもしれない。
中国からの影響で日本で正式に「宮(みや)」と「京(みやこ)」の区別をつけたのが、藤原宮(694年〜710年)。藤原宮の京は、新益京(あらましきょう、あらましのみやこ)であった。
その後、710年に平城京遷都、そのときの宮は平城宮であった。平城宮では現在、2010年完成予定で第一次大極殿正殿を建設中である。
ということで、飛鳥時代の宮の変遷自体はあまり意味はなかったかも知れない。飛鳥時代は日本の創世記にあたり、政治的に不確立の時代であったこともあり、政治的に見ると、宮の変遷で歴史がわかる部分もある。
飛鳥時代、宮の中心は『伝飛鳥板蓋宮』であり、二度の火災や蘇我入鹿の暗殺(乙巳の変)などがあったが、何度もここに戻ったことからもわかるように、重要な場所であった。
下の表は、主な飛鳥の宮と当時の天皇および遺跡場所を示す。
なお、年代については、そこに移り住んだ年であったり、あるいは即位した年であったりと、若干あいまいではあるので注意していただきたい。
また途中に、難波宮・大津京の時代があり、飛鳥を離れている。 |
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592年 |
豊浦宮 |
推古天皇 (豊浦寺下層遺跡) |
603年 |
小墾田宮 |
推古天皇 (雷丘東方遺跡) |
630年 |
飛鳥岡本宮 |
舒明天皇 (伝飛鳥板蓋宮跡T期) |
642年 |
飛鳥板蓋宮 |
皇極天皇 (伝飛鳥板蓋宮跡U期) |
653年 |
飛鳥川辺行宮 |
皇極上皇 (飛鳥稲淵宮殿跡) |
655年 |
飛鳥板蓋宮 |
斉明天皇 |
655年 |
飛鳥川原宮 |
斉明天皇 (川原寺下層遺跡) |
656年 |
後飛鳥岡本宮 |
斉明天皇 (伝飛鳥板蓋宮跡V−A期) |
672年 |
飛鳥浄御原宮 |
天武天皇 (伝飛鳥板蓋宮跡V−B期) |
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(初書:2006-12-05) |
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